
2012年11月30日、「戦争と一人の女」が青林工藝舎から刊行されました。単行本描き下ろしです。
青林堂工藝舎 2012年11月30日 ISBN978-4-88379-377-8
こちらから一部試し読みが出来ます。原作は1946年10月『新生』に発表された坂口安吾の短篇。発表時はGHQに肝心なところを削られていて、本作の意味がほとんど残されていません。完全版は
「桜の森の満開の下・白痴 他十二篇」(岩波文庫)や安吾全集に収録されています。岩波文庫はkindleにはなってないのに、
hontoにはあるんです。
また、本作は「続戦争と一人の女」とセットになっていて、「戦争と...」は男の方から描いたもの、「続戦争と...」は女の方から描いたもの。本作の方を作者が封印してしまったため、「続...」だけが「戦争と一人の女」となってしまいました。2000年に安吾全集が出て、完全版が読めるようになりました。でも何故「戦争と...」がGHQで削除され、翌月に発表された「続...」の方が削除されなかったのでしょうか。後者は『サロン』という雑誌で『新生』ほどメジャーではなかったのかもしれません。
しかし、たいへん残念なことに
青空文庫が削除版を使ってテキスト化しております。無料ですから、どうしてもこちらが普及してしまいます。電子書籍が流行出すこの機会に作り直して欲しいです。というか、自分でやれば良いのでしょう。時間を見つけてチャレンジしてみたいです。
そしてもう一作「私は海をだきしめてゐたい」が入っていますが、これは「戦争と...」と同じお話から...戦争という背景だけを抜いたもので、不感症の女と虚無的な男との日常を描いています。エロティックな作品ですが、1947年の『婦人画報』はなかなか進歩的だったのだなと妙に感心しました。
普段ドラマや映画で観ている戦争ものとは異なり、戦時下につらく苦しい思いをしている人ばかりではないということ、戦争により生かされている人もいたのだろうということを官能的に描いてくれた作品です。
戦争が人を惹きつけることはよくあることです。ドイツの戦時中の庶民を描いた小説は、戦後すぐにはなかなか出てきませんでしたが、1970年代以降に登場したものを読むと、実は庶民が一部の人々は狂喜してて、大部分の人々は淡々と戦争状態もナチも受け入れていたことが描かれていました。日本の小説やテレビドラマでは庶民は被害者、軍と政治家が悪いという扱いが多いように感じます。軍に媚び権力を笠に着る人物も登場しますが、たいてい主人公の敵役です。そんな普通の「戦時下もの」にはない魅力が、この安吾の作品にはあります。
戦争は平和な世界を楽しめない人にとっては、嬉しい事態なのでしょう。そんな人たちに戦争がどんな災厄を招くかを知ることでしか、戦争は避けられないのだと、繰り返し伝えていくしかないのですが、聞く耳をまったくもたない人がいるのだということが、ネットを見ているとよくわかり、怖いなと思います。
先に記載しましたが、この作品の原作は男女両方の視点から描かれているので、最初は「私は夜の空襲が始まってから...」という女性の方のモノローグから入りました。次に「...それまでのつながりだ、と野村は思った」と第三者視点に移行し、また「私は昔女郎だった」と女性の視点に戻ります。「女の肢体は...」と男性の視点なのか第三者なのか微妙なものも入ります。また後の方で「いつもこんな女だったら俺は幸福なんだがな」という男性のモノローグに移行したりします。この「語り手のゆれ」というか「切り替え」については、とても考えられているように感じます。...絵を使って物語をさまざまな角度から描くことが出来る漫画の特徴を上手に利用して混乱しないようにしているのですが、ふっとそれぞれの意識の中に入り込んでは抜けていく不思議な浮遊感があります。一つの物語の中での視点の変換は長編小説ではありますが、短篇小説ではやりにくいので、安吾も本編と続編という形をとったのでしょうか。
作画も描き下ろしだけあって、狭苦しくない伸びやかなコマ配分でじっくりと見せてくれます。p128〜130への流れやp133の1ページ1カットのところが特に好きです。女性の表情、特に目にはゾクっとさせられます。表紙の下半身は防空壕から見上げたストッキングをはかない女性の足で「下半身で生きる女性」を現してしているのか、自分の足で立つたくましく生きる力を現しているのか、はたまた...と頭の中をぐるぐるめぐってしまいます。
ところで、原作から今年、映画が作られています。公式サイトはなく、
facebookページですが、湯布院映画祭で初上映され、その後ちょこちょこと後悔されていますが、まだ全国公開時期が決まっていないようです。是非見たいですね。